
ども!SANFest会長こと『おもち』です。
世界一周をして色んな景色や食べ物や人を見て来たけど、
日本と違い世界では何かしら宗教を信仰し文化として根付いている国が多く、
宗教を知ることでその国の文化や教養・人の歴史や考え方が分かると思い、
自分なりに勉強してみたらこれがハイパー面白かったので、
今回分かりやすくかつそれでいて中立な立場で徒然なるままに書き散らしていきたいと思います。
今回はキリスト教について徒然なるままに書き散らしていきます。
キリスト教とは

キリスト教が誕生するのは約2000年前のイスラエル付近です。
3000年前にユダヤ教の先祖ともいえる遊牧民がエジプトで奴隷として働かされ、神様の声を聞いて東に向かいイスラエル王国を建てました。
つまり2000年前のイスラエルにはユダヤ教を信仰するユダヤ人が住んでいました。

ユダヤ教の聖書はタナハと呼ばれ、今で言う『旧約聖書』に書かれています。
ユダヤ教徒からしたら旧約とか言わずタナハが聖書なのですが、
なぜ旧約と呼ばれるかはこの後の続きをどうぞ!
旧約聖書にはモーセの十戒などのこれはあかんリストなどの厳しい制限が書かれていましたが、
この神の教えを忠実に守ろうとする信者とそこまでせんでもいいんじゃね?という信者に割れるようになってきました。
その理由第1位が「安息日」についてでした。
安息日とは『6日働いて1日休む』ルールだったのですが、
1日だけじゃなくてもっと休みたい!というさぼりたい欲望が理由ではなくて、
この休むの考え方に問題がありました。
いきなりですが、みなさん休みの日は何をしていますか?
旅行や買い物にでかけたり、家でテレビやYou tubeみたり各々好きなことをするかと思います。
しかしこの『休む』ってのは仕事やお店、電車など全てが休みとなり、何もせず休むという解釈になっていました。
つまり休むってのは、家から出ないというか掃除・洗濯もしないしテレビのリモコンもつけないし自分で電気もつけないなどの徹底ぶり休みでした。
皆がそれならいいのでは?と思うかもですが、病気で入院している人や介護が必要な人にとっては大問題です。
安息日は治療や世話も労働にあたるので、してはいけないという考えだったのです。
そういった状況の中、イエスが誕生しました。
イエスは元々ユダヤ人だったのですが、厳しすぎるユダヤ教の教えや、ユダヤ人だけが特別な存在とされている考えに疑問を抱き、神はユダヤ人だけでなく全人類救ってくれる偉大な存在だということを広めていきました。
すると周りからの共感を得てどんどん広がっていきました。これがキリスト教の原点です。
そしてイエスは、ユダヤ教の聖書の中に『苦しんでいるときは必ず神が救世主を向かわせる』ってのが書いてあり、『自分こそがその救世主だ!私がユダヤ教を終わらせる!』と言い出しました。
するとユダヤ教の人たちにとってイエスは邪魔な存在になりイエスを捕らえ裁判で死刑を宣告されてしまいます。
この頃の死刑方法は十字架に貼り付けられ釘で木に体が打ち付けられ刺さり肺が圧迫され呼吸困難で死亡するという方法でした。
こうして数時間後に亡くなったイエスはお墓に埋められました。
しかし3日目に弟子たちがお墓に行ってみたらイエスの遺体が無くなっていました。
そうかと思うとイエスが別の弟子たちと話をしていたとか普通にご飯を食べたりとかしていました。
イエスの復活です。こうして復活を果たしたイエスは独自の解釈の考えを広めていきました。
弟子たちはイエスの言葉を記録しそれをどんどん広めていきました。
そしてパウロひきいる弟子たちの布教活動でキリスト教が誕生しました。

ん?途中から復活したとかどういうこっちゃと思うかもですが、
これは新約聖書に書かれています。そもそもイエスの誕生も
大天使ガブリエルが聖母マリアに『あなたは神の子を産む』と
告げられ誕生したのがイエスです。そんなバカなと思うかもですが、
これもまた聖書に書かれておりキリスト教徒はこの聖書を大切にしています。
実際の出来事とかの有無はともかく聖書ありきでその聖書の意味を考えるのが
大事なのです!
ではその多くの人がなぜキリスト教に惹かれるのか?
それはキリスト教の根幹となる考え方は神様の無限の愛(アガペー)にあります。
神様の愛は無条件かつ無限で、どんな人間でも平等にとことん愛し幸せになってほしいと願ってくれており、
さらには隣人愛という考えで他者を思いやり、大切にし、支え、助ける行為があります。
困っている人がいたら助け合ってお互い思いやりの心をもって生きてほしいという考えがあるので
キリスト教の教会ではホームレスの人に炊き出しが行われたり、
目が見えない人に新聞や雑誌の音読会が開かれたり、障がい者施設への募金活動が行われたりしています。
なのでキリスト教徒の活動によって助けになっている人がたくさんいるというのは紛れもない事実なのです。
さらにキリスト教には死後は神の国に行けると言われており、
神の国とは天国の事で、天国とは悲しみも嘆きも苦労もないところと言われています。
キリスト教の考えでは死んでも天国があるから恐れなくても大丈夫ですよと言ってくれています。
分からないことだらけのこの世の中で神という確固たるものに従っていることで、日々の幸せや安心につながっているのがキリスト教徒なのです。

キリスト教はユダヤ教のゆるい感じからは始まって、
唯一の神『ゴッド』を信じ、創始者(救世主)はイエス・キリストで、
聖書は『新約聖書』で信者数は約20億人以上いる。
神の無限の愛や隣人愛や天国の考えで人々に安心を与えているんだな!
そんなキリスト教ですが、大きく三大キリスト教に分かれています。
プロテスタント・カトリック・正教会ですが、それぞれの違いはなんでしょうか?
カトリックは世界で約12億人いて、どんな罪人も善行を積めば救われるという教えが特徴で、
教会はステンドグラスや聖像や宗教画で美しく飾られ建物も大きく豪華なもので目に見えない神を感じるための仕組みになっており讃美歌がよく響く構造になっています。
神の代理人であるローマ教皇を通じて神を信仰しイエス・キリストの母であるマリアも聖母マリアとして信仰しています。
聖職者は神父または司祭と呼ばれ男性しかなれず神に身を捧げるという意味から生涯独身を貫きます。
役目は結婚式を執り行ったり、人の悩みを聞いたり、ミサという最後の晩餐を再現した神に感謝するという儀式を行います。
ルールに厳しく、同性愛や離婚は禁止ですが、近年では時代の変化に合わせ柔軟に対応しています。
プロテスタントは世界で約5億人いて、どんな罪人も信仰によって救われるという考えが特徴で
教会はシンプルで装飾なしで、聖書に集中して自分で考えようということで余計な飾りつけがありません。
聖書そのものを大切にし、神様を直接信仰します。イエスは特別だがローマ教皇は普通の信者の1人として考えており、聖母マリアも普通の人間として扱います。
聖職者は牧師と呼ばれ信者を迷える子羊に例え、それを先導するイエスのことを牧者と呼んだのが由来となっています。
牧師は信者の代表という立場なので結婚も出来、女性でもなれます。日曜日に礼拝が行われ自由な参加となっています。
離婚も許されカトリックより自由な風潮です。
正教会は世界に約3億人いてローマ教皇を認めないという考えです。イエスだけがトップとするのが正教会の特徴です。
上下関係はなく基本的にみんな対等と考えます。イエスのもとに集った弟子たちみたいな感じを反映させた結果でどこよりも伝統を受け継いでいます。
聖職者は神父または司祭と呼ばれますが、一般の信者と近い関係です。結婚や離婚も可能ですが再婚は3回までと決まっています。
このように共通点がありながら独自の発展を遂げています。現代少しずつ和解されてきているような感じです。

キリスト教の中にもいろんな考えがあるってことだな!
こうやって少し宗教のことを知ると世界を旅するときに
見る教会や風景や人たちの見方が考え方が変わるし勉強になるな!
他の宗教についても徒然なるままに書き散らしているので、興味のある方や今回の話が面白かった方はぜひ読んでみてください。
個人的にはユダヤ教→キリスト教→イスラム教→ヒンドゥー教→仏教の順番で読むと読みやすく結びつきやすいと思います。
ではまた!
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